こんにちは。
自分にとって快適な暮らしってなんだろう。
まず部屋の温度かな。
ここ数年、いやもっと前からか、夏がすごく暑い。
気温が体温を超えてくる日がある。
若い頃は電気代を気にしてエアコンはなるべく使わないようにしていた。
大学生の頃なんて、神奈川県で4年間エアコンなしで過ごし、その後エアコンを安い電器屋で買ってきて、買ったけど、電気代がもったいないからあまり使わないという、よくわからないことをやっていたなあ。
ここ数年は暑くて、エアコンなしでは暮らせなくなっている。
若い時はなんとか我慢できることもあるが、やはり年を重ねていくと段々と暑さは辛くなってくる。
自分にとって快適な温度ってどのくらい?
自問自答してみる。
やはり体調にもよるのかなあ。
あと、湿度が高くて、外の気温が25度とかだと、エアコンがなかなか効いていない気がする。
エアコンをつけているのに暑いという、なんか無駄以外の何者でもない。
今日は正にそんな感じの日。
中途半端に雨が降り、風は結構あって外は涼しいけど、家の中には風が入ってこなくて、かといってエアコンをつけて、いつもの28度に設定をしても、なんか全然涼しくならない。
夏の快適な温度っていったい。
快適な温度も自分の体調によって変わっている気がする。
そういえば10年くらい前の夏は家にいる時はタンクトップを着ていたけど、最近全然着なくなったことに気づく。
なんかダサいって思うのと、普通にTシャツで全然いい。
あー、エアリズムみたいなTシャツが出てきたから、けっこう快適になったのかもしれない。
たしか断捨離とかいって、タンクトップはもうけっこうボロボロだったこともあり一枚残らず捨てた気がする。
今年の夏は1枚も見かけていないので、捨てたんだな、きっと。
いらない物を捨てるって、思い切りがいるけど、捨てるとなんか少し軽くなった気がする。
捨てると気持ちいい。
なかなか昔はそう思えなかったが、ようやくそんなふうに思えるようになってきた。
捨てるという行為に罪悪感があった。
お米一粒に七人の神様って、ドカベンだったかな。
お米には神様が宿っているから、1粒も残しちゃダメというのを聞いて、それからどんなにお腹いっぱいでもお米は残さず食べてきた。
捨てるのに罪悪感を持つのも、こういうところから来ているのかもしれないね。
なんか話がそれてしまったが、自分にとっての快適な温度。
この温度っていうのはないけど、やはり体調によって変わるのかな。
今は寝る時は28度、普通に部屋にいる時も28度が多い。
この温度もテレビで見ていて、この温度設定がいいみたいな話があったから、28度にしている気がする。
やはり快適な温度は自分で決めたい。
そう思いながらも電気代を気にして、今日もエアコンの温度を28度に設定する。
この呪縛からいつ解き放たれるのだろうか。